権藤成卿

北海道一巡の概観
権藤成卿

 予は過る七月十九日、戒厳令解除の翌朝、友人に援けられ、病躯を輿して北海道に向い、八月十八日恙なく帰宅せり、仍て此に北海道各地の諸友が、隔意なき好意を寄せ、あらゆる視察上の便宜を図り、乃至幾多の事実的資料を与えられたるを深謝し、予が概観に対する一二の感想を摘記して諸君の盛情に答う。
 衰病の予は昨冬今春の寒威に打たれ、殆んど起居の自由を失い、加之二・二六事件勃発の為め、都下は戒厳令下に屈縮し、殊に何等本問題に関係なきにしても、引続き面識ある青年連が厳刑に処せらるるを見、事毎に傷心に耐えず只だ悶々悒々の中に、一日一日を送り居りしが、友人諸子より強て東京の猛暑を避け北海の涼風を味えとの勧あるより、かたがた平生の成俗検討上、北海道の一部を欠如せる為め、急に旅程に上ることとしたのである。然るに予は全く歩行に堪えぬ不自由極まる、一病夫、援け行ける諸友の面倒は、一と通りではなかったろう、但た幸に汽車自動車乃至舟中等より観覧顧省することは常人に異りなきゆえ、其大体の視察は現地に就き、現地の人の話を聞き、其図書を検按討攷するのである。
 初め予の予想せし第一の事目は、北海道も其開拓開始より既に一甲子六十年を超えたれば、如何に官費移民の地域官権全能の組織なりしにせよ、其気象土宜に随う、自らなる尚俗が固成する様に漸んできたであろう。古代の交通不完全なる時代に於ても、奥羽地方開発の順序が、一甲子六十年を以て、其地方郷村の成熟期となし、之を一般編戸に入れ倉廩の準備を立てたものであれば、現代の進歩せる農工商都ての発達速度は、昔の六十年を二十年に短縮するも十年に短縮するも、猶お且つ及ばない程である。然るに現代北海道に於て、却て其自らなる尚俗の成熟が認められないのは何かの支障があってのことであろうか、将た現代の施政目的が、自らなる尚俗の成熟を阻止するに在るではあるまいか、は這般一巡の概観に於て、何等一物の尚俗固成の要素を認め得ざるのみか、却て其反対に尚俗滅殺の傾向多かりしは、心甚だ釈然たるを得ざりし一事である。

 謂ゆる尚俗とは、土方自然のとうとぶ所に依りて固成する民俗気質である。この民俗気質に優良なる発達あれば、必ずや其地方適当の自主の能力が起る、故に古来風俗の善美なる地方は、必ず尚俗の確乎たる地方にして、其尚俗の確乎たる地方は、民衆に一定の操守ありて、仮令官司の威力も無理は行われない、之れが其反対に尚俗が整わないとか、若くは頽乱せしとかすれば、或は狡険凶暴となり、或は陰柔佞媚となり、甚しきは教育も及ばないこととなる、殊に之れが官治全能の組織下に於て、著るしき反影が認めらるる、俗に謂う強い者には随え、長い者には巻かれろ、意地を立つれば損である、丈夫の面目と婦女の貞操も代物次第、役人に睨まるれば立つ瀬はない。苟もそんな根性が一般的となれば、社会は留め度なく堕落腐敗する。
 予は先ず札幌に至り明治十四年、明治大帝御巡狩遺趾の石標に対し、実に今昔の感に堪えなかった。当時西南戦役後、我幣帑は極点までに枯衰し、早や金貨は影を潜め、銀貨と紙幣の比例は十対十八乃至十九となり、而も鹿鳴館の夜宴に栄華の良夜を惜みつつも、民衆に鬱積せし国力振興の輿情は、北海道開発に溢れ、当事者をして保護移民事業を促進せしめ、聖駕の巡狩を拝せしは、復た何たる国民の元気であろう。復た何たる鴻化の偉大さであろう。爾来当局官憲は此の国民の壮志と、聖沢の滋潤とを、如何なる規矩準縄に依りて宣布誘掖せしや、今ま其沿革を按し、成壊を細観すれば、実に思い半ばに過ぐることが多い。
 雨露の霑す所生民の帰趨する所、爾来北海道の開発は、幾多の困難を推し破り、駸々たる進歩をたどることとなりしも、又た忽にして富豪華族乃至権勢家の利権獲得地に化し、此に一種の伏魔殿を幻出せしは、今猶お我輩の記憶にありありと残存せる一事にして、其余毒は都ての北海道の良民諸君が、現今に至りても将来に向っても、永く受けて免かれ得さる苦痛である。

 今ま其概況に就て一班を採記すれば、当初に於ては官給移民であって、肥沃なる好適地を撰み与えしが為に、稍や順序ある端緒を啓き、逐次に其一部の地域が開発さるるに随い、公私諸種の事業も企図さるることとなり、日清戦役の時代となり、其戦役の財政窮迫に際し、国庫の支給困難を極め、此に資本家歓迎方策が企図せられ、林木土地払下乃至貸下げ、曰く鉱山、曰く漁場、曰く港湾地の埋立、曰く灌漑水路工事、曰く道路橋梁等々、其資本の投下と共に幾多の事業が紛然として起り、資本家と利権屋と当事官吏と三巴形に回旋し、之に対する幾多の法規も発布され、十年を出でずして、山林は伐り荒され、肥沃地域の多くは、種々の名目を仮りて、一部の富豪権門乃至利権屋に占有され、彼れには某々氏の大農場あり、是には某々氏の大牧場あり、而も高利貸は此間に跋扈し、或る方面の墾田は一部に兼併されて、小作人部落となり、其惨薄なる苛斂誅求は、沍寒地帯に耐え得べからざる生活をなすの已を得ざる良民も尠くない。
 かくして占有せる富豪権門の牧場農園は、概して大面積の沃地にして、一般移民が着々として開拓の実蹟を挙げ、逐次交通運輸の発達するにつれ、それ等の土地は多く未墾の儘に価値を生し、之れが為に大利益を獲得せし者は、予の知れる範囲に於ても頗る多い、加之道庁の勧誘に依る官費移民は、毎に是等の占有地乃至兼併地を飛び越して、次第次第に奥地に移し込まるるが故に、彼等が牧場等の名義を以て占有し、程克く検査官を胡摩化しさえすれば、利益は約束の如く労せずして収め得らるるのである。而も其検査の常慣常例は態々かく迄して資本家の所有を挙げさする目的ではないかを疑わざるを得ない。
 然も是等資本家歓迎方策の表面裏面は、百事精密を極め其農林産畜産水産鉱産等都ての集散措置、亦た一として彼等の便益ならざるなく、且つ之に依て設置され拡充され来れる金融機構は、尽く金利搾取の便を進め、農工商民の大部分は、皆な金利の為めの犠牲者たらざるを得ない迄になり、民撰に依りて挙げられたる大小議員、即ち代表公民に、民衆の為の公言を立つることなく、然も其撰挙は腐敗堕落して、近年の現状に推し移りしものである。本とこの資本家歓迎方策の拡充は、決して北海道のみではない、実に全国に漲れる時代の風潮であったが、北海道に於て特に其禍害の顕著なりしは、新開方土としての北海道に未だ鞏固なる尚俗なく、為めに如何なる問題も、官僚の命の儘に行われたる結果の致す所であろう。換言すれば、官僚乃至資本家の都ては、自家の権能を保持するが為め、寧ろ其尚俗の固成を嫌悪し、之が発達を阻止せしにはあらざる歟と思わるる。

 今其二三の実況に就て之を観察すれば、灌漑に関する組合工事、道路開通に関する組合工事の如き、多く強制加盟を以て、当局官吏の意の儘に遂行し、甚しく一部の人民に苦痛を与え居る事実がある。殊に北見地方水田開拓の失敗より、各地方大小の水路工事等々、我輩局外者の眼に映る諸問題に於て、謂ゆる狼の羊を牧するが如きの感あらしむるは、何故に北海道民がかくまで隠忍せざるを得さる理由あるかを知るに苦む訳である。
 官庁は各部各課其事業を分掌し、而して町村会より道会に至る迄、皆な其権限に依り事毎に詳論審議し、敢て一事を謾するなきが如きは、実に現代の表面観である、併しながら官物払下けの公入札にあれ、土木受負工事の公入札にあれ、其事実は真に、醜状狼藉である。殊に北海道の如き新開方土に於ては、土木の費目巨額に上り、其土木業組合の威力は、時に政局を左右するのである。乃ち其監督者たる当事官吏、民衆の代表議員たる大小の公人、それに各種の直接間接の関係者は、是迄如何なる態度を以て之に処し来りしや、彼れと是れとの縁、前と後の事情、其悉くとは言わざる迄も、事多く厳格方正を欠けるの嫌ありしは、今に公々然として団子金の割当行われ居るに見るも、其一班を窺うべきである。
 而も今は既に一転機を迎えた、乃ち本年初夏を以て長官の交迭を見、ついで道会議員の撰挙があり、是より百度更新の端緒を啓くと云うのである。北海道民諸君は之に対し、如何なる輿情を闡き、如何なる要求を提示するのであるか。
 現下政局の趨向としては、其都てを統制組織の下に管掌する方策である。細見すれば新独乙式統制組織、即ち彼のヒットラーの新政策が、其都てを当事官憲の手に強制統一するが如く、我国に於て之を模擬実行すると謂うのである、乃ち之を我国の沿革的実例に徴すれば、衆心の帰収なければ、譬令法条を以て強制するも、決して其実蹟は挙げ得られないものとしてある。まして北海道の如き官憲の威力強盛なる新方土に対し、更に此上強制統一を決行するとすれば、其結果は如何なるものであろうか、一々適切に利害関係ある、北海道大衆諸君は、是に対し如何なる考慮を加え居るのであるか。

 予は又た眼前に迫れる御巡狩に関する官民一般の情況を観て、官憲の為す所と、民衆の渇望する所と、余りの差隔あるに驚いた、由来地方管治の責に任ずる職責ある官憲が、微末の過怠なきを期し、其奉迎の準備を正たすは、固より当然の事であるが、其限りのある民力、まして数年引き続ける凶作、其治蹟は未た普く皇化を宣布するには足らざる方面も尠くないのみならず、処に依りては欠食児童もあり、食糧竭尽に苦める村落もある。而も彼等は強て、其治蹟を飾るが為にあらゆる手段を尽し、府庫を耗尽せしめ居るには非るか。我輩は切に是等矯飾の行為なきを祈る者である、只だ我輩の希う所は、成る可く其有の儘なる政蹟を、蔽わず匿さず、天鑑に奉供するこそ、御巡狩の聖旨に副うべきものかと思う。
 是の如き官憲の日夜を分たぬ準備に忙殺されている反面に於ける民衆の概況はただただ何となく嬉敷御巡狩を渇望しているのである。予は旭川に於て老農諸君の訪問を受け、因みに御巡狩に対する感想を尋ねた所、一人七十を超えたる老人が極て慇懃に感想を述べ、兎に角数年の凶作続きでありましたが、今秋は稍や豊稔らしく、幸にも惨めな村の有様を御覧に入れす御巡幸を拝みますことは老後の仕合せと存じます。それに就きましても私共此地に移住いたしました時は、百人計りの一団で、あらゆる艱難を重ね、外くの者は皆な其苦の中に世を終り、今ま生存せる者は僅に四人であります。而もこの一面穣々たる田畑は皆なその死んだ友儕ともだちの血と膏の賜と思いますれば、私は是等亡友の位牌を担き、御巡幸を拝みたいのでありますとのことであった、実に何たる惇厚、何たる穆実であろう、古諺に謂う我君を待つ君来らば我れ蘇せんとは、刻下北海道民一般の渇望の状である、然り其心真に冀う所は明々煌々たる天鑑の下に蘇息せんとするに在る、矯飾すること勿れ、甕蔽すること勿れ、紛淆すること勿れ、遺亡すること勿れ。
 天意は公に依て下達し、下情は公に依て上聞す、恐々たる旧令尹の政、朗々たる新令尹の政、権度固より一ならず而も隣閭此に成り、尚俗此に起る、公乎惑うこと勿れ、天に則あり地に法あり、斯民の適帰する所、自ら其中に在り公乎其れ復た惑うこと勿れ。





底本:「権藤成卿著作集第七巻」黒色戦線社
   昭和53年9月20日発行
栽培生活
権藤成卿「北海道一巡の概観」