不思議な狩人
早川孝太郎

 山で狩りなどしていた者の中には、平地の人びとが想像も及ばぬような、不思議な官能や經驗を持つた人物があつた。つい近頃聞いた話なども、その一つである。じつは、不獵續きに弱り込んだ狩人たちが、どこからか聞き出して頼み込んできたのが最初で、評判になつたと言うた。いまだ四十代の、體の小締まりに締まつたと言うほか、格別見たところ變つてもいなかつた。ただ不思議なことは、山へ入つたと思うと、猪のいるいないがすぐ判つたそうである。
 鼻で嗅ぎ出すのだろうとも言うたが、話の樣子ではそればかりでもないようだ。それについて、自分の知つている狩人の一人が言うたことがあつた。猪の後を索めてシダを分けて行くときなど、今の先、猪が通つたというようなことが、ふつと胸に浮かぶが、ほとんど間違いなかつたという。そうした官能の働きか、所在を知ることは驚くほど的確だつたそうである。しかも山を跋渉することの自由自在で、少しも倦むことを知らぬには、一緒に狩りをしたものが、いずれも舌を捲いたと言う。心持ち上半身を前屈みにした中腰の構えで、頭を前に出して小股に歩いて行く樣子がまことに尋常でなかつた。如何な茨の下ボローの中でも、たちまちくぐり拔けるには、とても眞似など出來なんだと言う。犬千代と言う渾名があると言うから、千代何とかの名前らしいが、會つた譯ではないから詳しいことは判らない。北設樂郡カワテとかのものとだけは聞いた。獸のことや獵の方法など、何から何まで氣持ちのよいほど知つていたそうである。狩りを濟ますと同時に、三日ほどいただけで、何處かへ去つてしまつたと言う。お陰で頼んだ狩人たちは、思いのほか獲物があつた。何なら毎年頼みたいと言うたとも聞いた。あまり珍しいから、いろいろ噂を訊いてみた。
 生家は村でもかなりな家柄だそうである。相當教育もあつて、村長ぐらいはできるなどと言うた。ただ持つて生まれた病というのか、狩りをしたり、魚を捕ることが好きなために、家にもいつかれないで、方々を渡り歩いているという。いたつて仕事が嫌いで、宿屋を泊まり歩いていても、一間に閉じ籠もつて朝から酒ばかり飮んでいた。宿錢が溜まつた時分に、釣りの道具を持つて、ふいと出て行つたと思うと、晩方にはびつくりするほど、鰻を捕つて來たそうである。それで拂いを濟ますと、また暫くは遊んでいたと言う。魚に不自由な、山の中の宿屋などでは重寶がつた。ただ長くいつかぬので困ると言う。鰻など一日に三貫目も提げて來たことがあつたそうだ。鯉なども、何處から提げて來るかと思うほど、速く捕つて來たと言うが、どうして捕るかなどと質問すると、ふつと無口になつて、話そうとしなかつたそうである。鰻にしても鯉でも餌で釣つていたことは確かであつたと言う。何だか悉く信じられぬような點もある。
 時とすると、まだこんな人がいたのである。猪とは縁がないが、以前狂言の振付をして、村から村を廻つていた相模屋某と名乘る男なども、變つた男だつた。地狂言がなくなつてからは、淨瑠璃を語つて、村々を廻つていた。もちろんそれだけでは生活が出來なんだので、冬は小鳥を捕り夏分は鰻を釣つて渡世にしていた。鰻など捕ることは實に巧妙だつたと言う。今日は何百目欲しいと註文をすると、晩方にはきつとそれだけの魚を提げて來たそうである。

 

底本:早川孝太郎『猪・鹿・狸』(郷土研究社)大正15年発行

栽培生活
早川孝太郎「不思議な狩人」