早、三四年前にもなるかと思うが、狩りの話が聞きたくて、以前狩人だつた男を訪ねていつたことがある。前から知らぬでもなかつたが、前身が狩人のことは、つい少し前に、初めて知つたのである。
生憎だつたが、きようは山田へ田繕しに行つた、と家人の言葉を聞いたときは、ちよつと落膽したが、さらにその田を訊いて、出かけて行つた。街道から山道にかかつて二三町進むと、窪を越した向こうに、柴山をひどく切り崩した跡が見えて、すぐ分かつた。新しく畔を築いて、幾段にもできた新田の一つに、腰が弓のようになつた白髮の男が、餘念なく土を篩つている。そばには、丈夫な手押し車が置いてあつた。かねて耳の遠いことは聞いていたので、そばへ寄つてから、大きな聲で來意を告げると、初めは何とも合點のゆかぬ顏つきであつたが、だんだん話すうち、得心がついたか、にやにやと相好が崩れた。やがて、びつくりするような聲で笑つてから、「そんなことが何かの役に立つか」と言うて、さらに愉快そうに笑つて、すぐ、話しだした。
十六の年から猪追いをやつたそうである。そして、近間の山という山は、ことごとく歩きつくして、ときには遠く伊勢路まで入り込んだこともある。ある年、奧郡(渥美郡伊良胡崎)に猪がたくさんいる話を聞いて、朋輩と二人で出かけた時のこと、赤羽根の海邊を鐵砲かついで歩いて行くと、岸からわづか離れた岩の上に、鵜が零れるほど止まつていたそうである。そこで慰み半分に一發放してみると、鳥は驚いて一時に飛び立つたが、そのうち一羽は海の中へ轉げ落ちた。そして波にぶかぶか浮かんでいるのだが、二人とも山猿の悲しさに、どうすることもできなんだ。そのまま見捨てて行こうとすると、近くの畑で樣子を見ていた男が飛んで來て、「デシ殿あれはいらぬかい」と言うて、ざんぶり海へ飛び込んで拾つたそうである。デシとはこの附近で專ら狩人を呼ぶ言葉であつた。
この話を聽いていると、春先の、日のぽかぽか當たつた海邊を、呑氣そうに歩いて行く狩人の姿が見えるようである。狩人の中には、居廻りの山谷ばかり守ることをせず、獲物を索めては山から山を渡り歩いて、ほんのわずかの間しか家に還らぬ者もあつたのである。
今年七十七だと言うたが、十數年前四十幾年の狩人生活をふつつりと斷つて、ただの農夫に還つて老先を田地の改良などやつていたのである。實は狩りほど面白い仕事はなかつたと言う。いくらやかましく言われても、耕作など、とても辛抱ができなんだそうである。そう言うているだけ、ひどく謙遜した回顧談であつたが、愉快なことは、その老人が、諦めたなどと言いながら、話の間の手にこつちが語る他國の狩りのことを、珍しがつて聞こうとする態度であつた。その晩さらに家へ訪ねると、一人で茶を汲んだり菓子を出したりして、歡待してくれた。そして若い頃獲た大鹿の皮で、自身が縫つたというタッツケの、ぼろぼろに綻びたのを納戸の隅から搜し出して見せてくれた。鐵砲も、早、賣つてしまつて、殘るものはもうこれだけだと言うた。
こうして猪狩りの話も、納戸の隅に置き忘れたタッツケの如く、すでに過去の物語になりつつあつたのであるが、一方對手の猪は、まだ盛んに出沒していたのである。現にこの老人の耕した田の稻も、年ごとに荒らされつつあつたのは、矛盾だか皮肉だか判らなんだ。
底本:早川孝太郎『猪・鹿・狸』(郷土研究社)大正15年発行
