田の草取り
相馬御風

 農家の仕事で最も辛くて地味な仕事は炎天の田の草とりであらう。これは自ら經驗のある人か、親しくそれを目撃した人にでなければ到底わからないであらうほど辛い仕事である上に、田植や苅取のやうな樂しさの伴はない至極地味な仕事である。しかもこの仕事に從ひながら農婦たちのうたふ朗らかな唄聲は、炎天の下見わたすかぎり緑の波をうねらせてゐる青田の靜けさのうちに、限りない感傷を漂はせてゐる。

  穗に穗がさがる 桝は拾て置け 箕ではかれ

夏の勞苦の中からも秋の豐作を想ふと、その勞苦もおのづから慰められるのであらう。

  細谷川(ほそたにがは)で 鶯の聲 ほのぼのと

 細谷川の水の冷たさ、風の涼しさ、そして遠くほのかに聞える鶯の聲――一脈の涼氣とほのぼのとしたのびやかさは、自らうたふ唄の韻律によつて彼女等の苦熱の中を一陣の涼風となって吹き通る。

  踊らしよ爲に 派手な浴衣を 染め置いた

 妻をおもふ夫のやさしい心は、盆踊に備へて派手な浴衣を染めさせ置いてくれた、その男のやさしい思ひやりをおもふと、たまらなく嬉しくもあり、また田の草取りが濟むと間もなく迎へられる盂蘭盆休みの伸びやかさ、祖先の靈を祭る夜のしめやかさ、そして月光水の如き夜天の下の盆踊りの樂しさが、彼女たちの苦熱を忘れさせてくれる。

  おら(かか)をんな おれが男で しあはせだ

 これぞ夫婦道の極致である。妻がまことの女でり、夫がまことの男であり得ることの幸福は、男としても女としてもこれ以上あり得よう筈はない。
 ああ、しかし、そのなつかしい夫も、今は大君の御楯となつて遠い遠い戰野にある。

  なつかしがるな 雲の行方に 果がない

 田の草取りの彼女たちの唄聲は、かくして物皆聲をひそめたやうな炎熱の田の面に果てしもなく流れて行くのである。    
 (以上はいづれもこの地方の盆踊の古謠である)
 私は昨年の夏「田の草取り」と題して次のやうな歌を作つたことをおもひ出す。

  山の上なる大空に
  高く湧き出た雲の峰
  田の草とる手休めつゝ
  仰ぐ翁よ、何思ふ。

  燒けつくやうな日の光
  背にうけつゝも咋日今日
  田の草とりに忙しい
  母よ、娘よ、何を待つ。

  日がな日ねもす木がくれに
  みんみん蝉が鳴きしきり
  夜は稻葉にきらきらと
  月を宿した露の玉。

  今年も稻の出來ばえは
  まづ上々と思ふにも
  つけて思ふは戰地への
  便りも書けぬ忙しさ。

  昨日も今日も明日もまた
  とらねばならぬ田の草に
  思ひをこめて働けば
  汗も光の玉と散る。

 同じ田の草取りでも三番草取が最もつらいとのことである。暑さもきびしい絶頂であるし、稻の丈も伸び株も殖ゑてゐるので葉で顏や手の皮膚をつく爲ヒリ々々痛むし、汗が目に入るし、それに一日中背を屈ぎせてゐる上にヂリヂリ日に照りつけられて居り、腰の痛さも一通りでない。
 そればかりか、この地方のある山間部落などでは、その頃蚊に類した刺す羽虫が澤山發生する爲、腰から尻の方にぶら下るやうにして一種獨特な蚊いぶしを身につけてゐなければならぬといふ、まるで地獄の責苦に逢つてゐるやうな田の草取りを毎年やつてゐる。
 そんな苦みの中からも人々は朗らかに答へる。
「かう米々々々といふ時勢になつちや、一拉でも餘計に米をみのらせてあげんなりまへんで……」
 私はこの「一粒でも餘計に米をとるやうにしてあげなくては……」と意氣込んでゐる人々の一言にはただ頭が下るのみである。





底本:『丘に立ちて』(人文書院)昭和17年発行

栽培生活
相馬御風「田の草取り」