先頃私は夫人に先立たれた友人を慰める爲に次のやうな歌一首をしたゝめて送つた。
咲きし花は散らざらめやも散りし花は安けく土に歸せざらめやも
ところがその歌を書き贈つた後で、私はふと殆どこれと同じやうな左の如き歌を、ずつと以前母堂を失つた他の友人に書き贈るつたことをおもひ出した。
木枯らしの行方は知らぬ散りし葉の土に歸るを思へば安けし
私は人の死に逢ふたびに、結局いつもこのやうに「土に歸る」ことの安けさを心の奧深く感ずるのであつた。
現身を本位として人の死をおもひ、また遺された人々の上をおもふと、私はいふまでもなく限りなき悲みに沈まずにはゐられない。
しかし現身を離れて、悠久な大自然に心をゆだねて思ふ時、私は人間の死に對して常に「土に歸る安けさ」といつたやうな一種の安住感を覺えずにゐられないのである。
散る花、落ちる葉。枯れゆく草、いづれか土に歸らざらんやである。土から出て、やがてまた土に歸つて行く。そしてその土はまた新らしき生命をはごくみ育てる。その循環は限りない。
私の住んでゐる近くの山脈は、全國有數の石灰山である。この殆ど無盡藏といつてもいいほどの地下の寶庫は、悉く太古の生物の土に歸したところの一度はみな地上に生きてゐた物の、再び土に歸つたことによつて出來たところの遺産である。
地上にありとしあらゆるもの何一つとして空しく消えはしない。すべては土に歸る。そして永遠に滅しない。
土こそすべてを藏してゐる。土こそすべてを知つてゐる。
今や世界に於て最も大きな戰が戰はれつゝある。そして絶え間なく多くのものがその爲に失はれつゝある如く見える。
けれども失はれ行くが如く見えるものゝ、何一つが眞に失はれたであらうか。
私はおもふ。すべては土に歸る外ないのであると。
土に滴つた一滴の血と雖も消え去ることはない。放たれた拳銃の彈丸と雖も、決して空しく消えはしない。風に吹きまくれた一握の灰と雖も、いたづらに空に消えはしない。
すべては再び土に歸る。
戰爭は消費であるといふ。しかし、目に見えないほど小さな鐵の破片一つでも、空しく消えはしない。
すべては土より出でゝ土に歸る。
私は春になると、雪の消えた後の畑や庭のやはらかな土を、しみじみなつかしく握つて見る。そしてその一握りの土にこもつた限りなき過去を思ふことがよくある。
眼前に展開された耕地に對する時、私は多くの場合そこに注がれ來つた祖先の汗の浸潤をおもふ。
私はまた安らけき此の國土を打ち固めるべく、いかに多くの人々の、如何に貴い血潮のそゝがれて來たかを思ふ。
海に、湖に、川に、山に、野に、谷に、町に、村に、いたるところの土は、私にそこより出でゝそこに歸つたものゝ運命をおもはせずに措かない。
土こそすべてを生み、且つすべてを藏してゐるのである。
聖戰五年、大陸の土に濺がれた貴き血潮が、何を大陸の土に藏せしめつゝあるかを、私たちは深く考へなければならない。また如何に多くの物が、大陸の土に歸したかをも、私たちは深く考へなければならぬ。
地上のもの、何一つとして空しく消え去りはしない。
土に歸つた生命は、永遠に新らしき生命をはごくみ育てずには措かない。
土に歸つたあらゆる物は、默々として土に藏されつゝ、いつかは再び新らしい形で掘り出されるのを待つてゐるであらう。
花は散る。
しかし、それは空しく消え去りはしない。土に歸つた花は、更に新らしき生命の芽生をはぐくみ育てずに措かない。
安らけく土に歸り行く花は、常に新たなる春を夢みつゝある。
底本:『丘に立ちて』(人文書院)昭和17年発行
