山の神と狩人
早川孝太郎

 狩人が猪を撃つた時は、其場で頸のイカリ毛を拔いて山の神に捧げるのが、古くからの作法であつた。その方法は先づ手頃の木を切つて皮を剥ぎ、尖を割ひて串を作り、それに毛を插んで立てるのである。別に其場で臟腑を拔いて祀る事もあつたが、猪の場合は極く稀であつた。(詳しくは鹿の項に讓る)その折の唱へ言などはもう無かつた。只實直な狩人には、人に物言ふ如くに、よう猪をお授け下されたと、唱へる者もあつたと言ふ。
 山の神を祀る事は、狩の前にも行つた。幾日山を歩いても、更に獲物に遭遇せぬ時は、一旦家に還つて、更に出直したのである。而して山口に地を撰んで、手近の常緑木の小枝を二三折敷いて、其上に酒を灌ぎかけて祀つた。山の神樣猪をシナシて下されと祈つたと言ふが、猪狩に限つた事では無かつた。シナシて下されは狩人の言葉で、獲物に巡り合せ給への意であつた。或はまた獲物を前にして祀る事もあつた。多くは巨大な古猪などの場合で、狩の懸念される折であつた。方法も前と變りなく、殘りの酒を汲交して出掛けたのである。
 山の神は女性であるとは、專ら言うた事で、山の木の葉一枚も惜まれると謂うたが、或は一眼一本脚の大漢であるとも謂うた。現に鳳來寺山中で、遭遇した者もあつたと聞いたが、久しい前で、而も詳しい事は傳はらない。さうかと思ふと、同じ山中で永年狩を渡世にして居た丸山某は、數里四方に亘ると言ふ森林中を殆ど隈なく跋渉して、人跡稀な山中に夜を明した事も、幾度かはかり知れぬが、たゞの一度も遭遇せぬからは、昔の人の嘘だと斷言した。而も獲物を取匿される事だけはあつたと言ふ。何物の所爲か判らぬが、確かに斃したに拘らず、谷を渡つて近づいて見るともう影も形もなかつた。中には程經てから山犬などに荒されて居るのを、見出す事もある。さうかと思ふと幾度も搜索して、確かに無かつた筈の處に、早半分腐つて居るのを、後に發見する事もあつた。何れにしても目の迷ひなどゝ信じられぬ、山の不思議はたしかにあつた。それで結局は山の神に匿されたとして置いたと言うた。同じ山の西麓、玖老勢村の某の狩人は、斃した猪の行衞を索めあぐんで、諦めて還りかけると、誰やら後で叫んださうである。振返つて見ると、全身毛だらけの大男が立つて居た。最早遁げるに遁げられず其處に立竦んで居ると、大男は傍へ寄て何やら問ひかける。よく聽ひて見ると、頻りに何處の者だと尋ねるのださうである。さうして段々話す内、實は三十年前に家出した、同じ村の豆腐屋某の悴であると語つたと言ふ。その狩人には勿論其事は思ひ出せなんだと言ふ。どうして暮して居ると訊いて見ると、初めは木の實を拾つたり、木のアマ皮を剥いで餓を凌いだが、今では何でも捕つて食ふと言ふ。さうして居る内、何時か體中に毛が生へてしまつたと、語つたさうである。最後に別れる時、俺に遇つた事は、決して喋つて呉れるなと言うたが、其狩人が臨終の折に、傍の者に語つたと言ふ。其時見失つた猪の行衞はどうだつたか、その男と關係あるやうに思はれるのに、其事に就いては聽かれなんだ。
 自分に語つたのは、今年七十幾つになる老媼だつた。子供の頃母から聽いたさうであるが、恐ろしいと思つて、以來誰にも話さなんだと言うた。

 

底本:早川孝太郎『猪・鹿・狸』(郷土研究社)大正15年発行

栽培生活
早川孝太郎「山の神と狩人」